絵画のなかでは、作者は自由である。何を描いてもいいし、どういうふうに描いても誰かに文句を言われることもない。好きなものを好きなように描けばいい。
絵描きは自由であるにもかかわらず、自由に表現している作家は、じつはそれほど多くはない。どういうことかというと、自分の「表現」を一所懸命に突き詰めていくと、これでいいのだという確信とともにこだわりのようなものが生まれ、そこから逃れられなくなってしまうのである。結果、新しい挑戦ができなくなる。これをマンネリという。
一色映理子はマンネリに陥らず、次々にそのモチーフを変えていく稀有な作家の一人である。
「step」 と題された今回の個展(2021年 5月10日(月)-22日(土) Steps Gallery/東京)では、そのモチーフだけではなく、技法というのか、描き方と言ったほうがいいのか、その自由度を驚くほど拡張したように見える。
出品作のなかから、一点だけ選んでみよう。
縦130.3cm、横162.0cmの、100号と呼ばれるサイズのキャンバスに油彩で描かれた作品だが、大きな色面で分割された画面を見ると、最初は抽象画のようにも見えるのだが、視線を遊ばせると、縦に流れる2本の帯は緑色のカーテンであることに気づき、これは室内の一部を描いたものであると判別できるようになる。カーテンは閉じられていて、帯で留められている。カーテンとカーテンの間の空間は、少し奥まった壁になっていて、日本家屋の床の間に見えなくもない。床の間なら、掛軸が掛けられるであろう位置に、洋風の鏡が取り付けてある。縦長の楕円形をしていて、枠の上下にはアールヌーボー風の金属の飾りが施されている。
この壁は、2019年にやはり Steps Gallery の個展で披露された作品 「first place」 に描かれた室内風景の一部分である。この部屋は、一色が幼児期から過ごしたという神戸の実家なのだ。「first place」 ではカーテンの両脇はレースのカーテン越しに外光が射し込むガラス戸になっているのだが、今回の作品では、ピンクに塗られた壁に見える。ガラス戸に見えないこともないが、その辺は曖昧である。こういう細かいところで一色は画面を作り込むのである。
さて、鏡である。鏡というのは、人の目線の高さに設置されるのが普通である。人の顔を映すためのものだからである。この壁の鏡もやはり目の高さを基準にしているようである。だから、本来ならば、この鏡の中には鏡を見つめる一色自身が映っていてしかるべきなのであるが、彼女の姿は見えない。一色が映っていないとしても、そこには鏡と反対側の壁が映り込んでいるはずではないだろうか。ところが、そこには壁はなく、代わりに奇妙なものが映り込んでいるのである。何が奇妙かといえば、そこには映るはずのない、部屋の天井が見えるのである。シャンデリアの一部も見え隠れしている。鏡面を通して天井が見えるということは、観察者はかなり低い位置から見上げているはずである。もし、見上げているのだとしたら、鏡はこういう風には見えないはずだ。遠近法に忠実に描くとしたら、鏡の上の部分が小さくなり、下部は上部に比べて少し膨らんでいるように描くべきなのだ。ところが一色の描く鏡は、綺麗な楕円曲線を描いている。
それだけではない。天井近くの窓とおぼしきところから、強烈な光が射し込んでいるのだ。いや、射し込むという言い方では弱すぎるだろう。それは、室内に無理やりに侵入してきた闖入者と言ったほうが適切な気がする。
これはいったいどういうことなのだろう。
ミステリー小説の謎解きめいてきてしまったが、解読を続けることにする。
天井が映り込んでいる件であるが、これが下から見上げた視線であるとするならば、この天井を見ているのは、この絵を描いている一色ではないだろう。これはわたしの推測であるが、この天井を見ているのは、幼い頃の一色なのだ。それ以外には考えにくい。
絵を描いている現在の一色の足元に、幼児の一色がうずくまっていて、鏡に映るものをじっと見ている、そんな情景が思い浮かんでしまうのだ。
鏡は目線の高さから描かれていて、鏡の中は、幼児の一色の目線で捉えられている。二つの方向の視線を同時に同じ画面に表わしているわけだ。キュビスムの「視点移動」 を思い起こさせる。一色の場合は、さらに時間という要素も加わる。
光について。まず、天井のこんな近くに窓があるのだろうか。この辺も疑問が残る。そして、ここから侵入してくる白い光。ひょっとしたら窓から入ってきた光ではなく、空中に漂っている生物と捉えてもおかしくないくらいの存在感を示してもいる。これは何なのだろうか。疑問は疑問のままにしておく他はあるまいが、一色の作品集に書かれた2015年の彼女の文章のなかに 「わたしの中に宿る光」 という言葉があったことを紹介しておく。
この作品のタイトルを書かなくてはならない。じつはタイトルもミステリー仕立てである。
「私はあなたを覚えている」
というのがそれであるが、タイトルだけでも充分に 「怖い」。
前回の個展のときに、わたしは簡単なテキストを書かせてもらったのだが、そのなかで、「場所には記憶がある」 と言ったはずである。もしそうだとしたら、このタイトルは、「私」が一色であり、「あなた」 がこの鏡であると読むことが出来るし、逆に「私」が鏡で、「あなた」 が一色であると設定することもできる。
こう考えていたわたしに、この絵が、突然 「違う」 と囁きかけてきたのは幻聴だったのだろうか。
「違う」 と言ったのは、一色の足元にうずくまっていた幼少期の一色映理子だった。
ああ、そうだったのか、とわたしはすぐに自分の解釈を訂正したのだった。つまり、
「私」 は一色映理子であり、「あなた」 も一色映理子自身なのである、と。
以上は極々私的な謎解きなのであるが、あなたは、どういう謎解きをするだろうか。
2021年 5月13日
(よしおかまさみ/美術家・Steps Gallery 代表)