Steps Gallery

ステップスギャラリー 銀座

中澤小智子の祈り

今回の中澤小智子展は、4点の作品で構成したインスタレーションである(2022年11月1日(火)- 12日(土)Steps Gallery/東京)。インスタレーションではあるが、それぞれの作品は独立している。

入口を入ると黒大理石の手の彫刻が目に飛び込んでくる。

「514 ~デューラー「祈る手」によせて~」

デューラーの素描「祈る手」を立体にしたものである。黒大理石の力強いな存在感と、確かな描写力が見る者を圧倒する。514という数字は、デューラーが「祈る手」を完成させてから現在までの年数だそうだ。514年を経ても「祈り」の姿勢は変わらない。現代のわたしたちは何を祈っているだろうか。

2点目の作品は40㎝の立方体である。

「神話の起源」

鉄製のテーブルに乗ったこの箱は、全面が鏡であり、ギャラリーの壁と観客の姿を映すだけのそっけない作品である。一見ミニマルアートのように見えるが、実は、巧妙な仕掛けがしてある。この鏡はハーフミラーである。向こう側が半分透けて見える鏡である。そしてこの箱の中には何重にも重なった鏡が組み込まれているのである。しかしハーフミラーのはずなのに箱の中は見えない。ハーフミラーは鏡の向こう側に光源がないと何も見えず、ただの鏡になってしまうのだ。中を見るには、外の光を極限まで落とす必要があるが、そうすると真っ暗闇になってしまい結局何も見えなくなってしまうのだ。暗闇を内包した作品である。わたしは、鈴木真砂女の怖い一句が脳裏に浮かんだ。

蟋蟀や目は見ひらけど闇は闇

本人は「理屈っぽい作品になった」と言っているが、「祈る手」と合わせて鑑賞すると、伝統的な手法で作られた彫刻と、このほとんどコンセプチュアル・アートである箱のあまりのギャップに戸惑ってしまうのだが、実はこの飛躍こそが中澤のインスタレーションの特徴であり醍醐味であるとわたしは考える。

祈りは闇の中で行うものである。

さて、次の作品はやはりハーフミラーを使ったもので、ギャラリーの奥の入り口を塞いでしまったものである。

「それぞれの視点 -壊された日常 隣の日常-」

この入口はギャラリーの事務所に続いていて、外光が入るので、文字通りのハーフミラーになる。前に立つと、自分の姿と、向こう側の事務所を同時に見ることになる。この鏡にはシルクスクリーンによる画像がプリントされているが、これは爆撃を受けたウクライナの住宅の写真を印刷したものである。このシルクスクリーンも、中澤自身が印刷した。ウクライナの写真のこちら側にわれわれが立ち、向こう側の「日常」と設置された作品をながめることになる。

ハーフミラーの向こう側に廻って作品を見てみよう。

「コルヌ・コピアイ」

手を組み合わせたところから、花が伸びてきているところである。コルヌ・コピアイというのはギリシャ語で豊穣の角という意味らしいが、組み合わされた手から自然の恵みが溢れ出ているわけなのだが、この手は一人のものなのか、二人の手なのかはわからない。

今回の搬入作業には、4人の大学生が来てくれた。みんな中澤の(高校・予備校での)教え子で、現在は大学の彫刻科で学んでいる。

「これは型を取ったわけではないですよね?」

とその超絶技法に驚いている。

「この作品(大理石の手)はどれくらい時間がかかるんですか?」

という質問に中澤は

「1年はかからないけどね」

と答えた。1年はかからない、というのは1年近くかかるという意味でもある。

労作である。4点の作品を合わせて鑑賞することで見えてくる中澤のメッセージをどう受けとめるのかがわたしたちに問われている。

(よしおかまさみ/Steps Gallery代表)

03-6228-6195