20年以上過ごしたニューヨークを引き上げて、日影眩は東京に戻ってきた。そろそろ東京に居を移してもよい頃だろうと思ったのは、年齢や体力のこともその理由の一つなのだろうが、何よりもニューヨークに彼の求める魅力がなくなってしまったことが一番大きな原因のようである。
日影は、街の写真を撮り、そこに写った風景や人物像をモチーフとして絵画を制作してきた。ところが、ニューヨークではわくわくするような画像を得ることができなくなってしまったというのだ。街や人物に活気が感じられないというのだ。なぜそうなってしまったのか、ここでは吟味しないでおくが、日影自身がそう感じたのは事実なのである。
東京に戻ってきて、銀座などを歩いて東京の写真を撮り始めた日影弦は、最初は、東京をモチーフに写真を撮り、作品を作ることが出来るだろうかと危ぶんでいたのだが、写真を撮り始めてみると、意外にも東京は面白い、ということだった。これからしばらくは日影眩の「東京」に注目しなければならないだろう。
日影は街の風景や人物を描いてきたのであるが、しかし、そのすべての作品には人物が描きこまれていて、街の風景だけの絵はない。そういう意味では、日影は風景画家でもなければ静物画家でもなく、人物画家なのであると言うことができそうである。彼が人物に興味があるのだとすれば、ニューヨークに魅力が無くなったというのは、ニューヨークの人間に魅力が無くなったということなのだろう。そうであれば、彼が「東京は面白い」というのは、日本や東京はまだその魅力を失っていないと考えてよいのだろうか。
日影の近作では、人物が次第に消えかかって、その姿が無残にも何かに食われてでもしまったかのような、あるいは消しゴムで消されてしまったかのような姿を見せている。周りの色彩に侵食されて今にも消えて無くなりそうなのである。
このことを、現代の監視社会に対する風刺であるとか、われわれの生きる意味の喪失であるという解説を加えることも可能でるかも知れないのだが、私は、あえて、これはただ単純に消えて無になりかかっているところであると解釈してみたいのである。
ショウペンハウエルは「現存在の虚無性に関する教説によせる補遺」という文章の中で人間は生まれる前は無であったし、死ねばまた永遠に無くなってしまうのである、ということを言っているが、わたしは、もし生前も死後も無であるとしたら、今生きているわれわれも実は無なのではないかと疑うのである。無というよりも「虚無」といったほうがぴったり来るかもしれない。
日影はまた、ほとんど地面から見上げたようなローアングルの作品も描いてきた。しかし、よく考えてみると、ローアングルといっても、もし実際にその角度から街や人物を見上げる体勢をとったならば、それはとんでもない格好になってしまうだろう。ローアングルの視点を取った時点でわれわれは人間としての立脚点を失うはずである。ありえない視点は虚無の方向性をもっている。
消えかかって、虚無に帰ろうとする人間を描くことで、逆にこの世界の実在性を示しているかのようである。ニューヨークから東京へ、日影は何を持ち帰ってきたのだろうか。
(よしおかまさみ/Steps Gallery 代表 2018年3月)