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ステップスギャラリー 銀座

現代絵画の問題点

本屋さんで棚を物色しているときに、ふとしたきっかけで林芙美子の 『放浪記』 を手にとってみたら、予想外に面白くて買ってしまった。続けて 『浮雲』 も読んだ。解説を読んでいたら、『風琴と魚の町』 という作品があることを知り、読みたくなって探していたら、ちくま文庫にあるのを見つけて読んでみた。衝撃をうけた。

現代絵画と林芙美子がどんな関係があるのかと思われるかもしれないが、あるのである。

その辺をおいおい説明していくのがこの文章の目的なのであるが、これは論文ではない。論文ではないから、論旨はあやふやなのであるが、要するに現代絵画にはどんな問題があるのか、ということをわたしなりに考えたことをのらりくらりと展開したいというだけのことである。

林芙美子の 『風琴と魚の町』 と木田元の 『一日一文』 のなかのセザンヌのことば、それと高階秀爾 『バロックの光と闇』 を参照しながらゆっくりと書いていく。

まず、『風琴と魚の町』 であるが、この小説は詩を書いていた林芙美子が最初に挑戦した小説で、父母といっしょに行商をして歩いていたときのことを書いたものである。芙美子はこのとき十四歳で、学校には行っていない。父親は風琴(アコーディオン)を引いて客寄せをしながら、下着とか、化粧品とか、いろんな物を売るのである。三人は九州から大阪に向かう途中の尾道で下車して商売をする。いままで全く売れなかった品物が、尾道では予想外に売れて、しばらく尾道で商売をすることにした。少しお金が入ったので、父親はうどんでも食べようと言い、芙美子は喜ぶ。三人でうどんを食べる。芙美子のうどんには揚げが入っているのだが、父と母のうどんには何も入っていない素うどんである。芙美子は、お父さんとお母さんのうどんにはどうして揚げが入ってないの?と訊くが、お母さんは「黙って食べなさい」と答える。芙美子は自分の揚げをお父さんのどんぶりの中に投げ入れて、お父さんの顔を見てにやっと笑う。お父さんはその揚げを美味しそうに食べる。夜になって三人は宿を探しておんぼろ宿に泊まることにした。畳が波打っているような貧相な部屋に布団を敷いて寝る。芙美子は「晩ご飯は?」と訊くのだが、お母さんは「さっきうどん食べたでしょ」と取り合わない。「さっさと寝なさい。明日の朝になったら、白いご飯を食べさせてあげるから」というお母さんの言葉を聞いて、芙美子は涙をぽろぽろ流す。

こういう話がずっと続いていくのだが、飾りのない文章がわたしの心をつかんで離さなくなる。

林芙美子はこの作品を書くときに、小説とはどう書くのかわからず、工夫に工夫を重ねたようなのだが、良かったのか悪かったのか、その効果は表面には現われず、極々素朴な文章になっている。素朴だからこそその内容がわたしたちに直に伝わってくるのであると思う。

小説の「何を」、「どう書くか」という問題でいうと、林の 『風琴と魚の町』では、「何を」書いたかというところでわたしは感動したのであって、「どう書くか」というところは全く気にしないで読むことができた。つまりテクニックではなく内容に衝撃を受けたのだった。

「何を」、「どう書くか」という問題は、小説だけではなく、美術においても画家や彫刻家が頭を悩ませるところなのであるが、現代では、とくに現代絵画における「何を」と「どう描くか」の二つのバランスというか、比重をどちらに置くかというところが難しいのである。

木田元の『一日一文』という本がある。「人生にうるおいや勇気をあたえる三六六の名文」という帯のコピーにあるように、先人の「名言」が366人分載っている。木田元は哲学者なので、哲学的な文章ばかり載っているのかと思っていたら、小説家や音楽家、政治家や経済学者が取り上げられていて、そこには画家や彫刻家や映画監督なども含まれていた。恐るべき読書の量と幅の広さである。セザンヌの言葉があって、彼がどうして花を描かなかったのかということがわかって興味深かった。山梨俊夫 編訳の 『セザンヌ 絶対の探求者』という本に書いてあるようだが、孫引きになってしまうが、紹介する。

「花はあきらめた。すぐに枯れてしまう。果物のほうが忠実だ。果物は肖像を描いてもらおうとしている。色褪せていくのをあやまっているかのようにそこにある。香りとともに果物の考えていることが漂ってくる。果物たちは、さまざまな匂いのうちにあなたのもとにやって来て、収穫された畑や育ててくれた雨のこと、ひっそり見ていた曙のことを話してくれる。」(ジョアシャン・ガスケとの対話)

花は移ろいやすい。果物もいずれは腐ってしまうわけだが、花に比べたら持ちがいいわけである。

ゴッホはひまわりを描いたけど、彼は描くのが速かったから描けたわけである。ということは、セザンヌは描くのがゆっくりだったはずなのである。遅いというのではなく、時間をかけて対象に向き合ったということなのだろう。セザンヌはものの表層ではなく、実体の確かさを描きたかったのではないかと思うのだ。林檎や山、人物などの個々の違いではなく、共通項を見出そうとしていたのではないか。プラトンの云うイデアを求めていたというふうにも言えるだろう。

小林 忠の 『日本水墨画全史』 には24人の画家が登場するのだが、一人目の雪舟に興味深い重要な記述がある。ちょっと長いが引用してみる。

「日本人は、目に見えないほど微妙に変化する時の流れに、鋭敏な感覚を養ってきた。一枚の木の葉、一本(ヒトモト)の草の花、吹く風の温かさや香り、水の音や鳥の声に、季節の推移を実感し、人生の一コマ一コマをしみじみと深く味わおうとしてきた。大和絵は、そうした変化の相を、月ごとに月次(ツキナミ)絵として、季節ごとに四季絵として、きめこまやかに表わしてきた。

雪舟の四季山水画は、そうした日本人の伝統的な心性と、折合良く重なる性質のものではない。むしろ、外見の様相が呈する変化の奥に、悠久の時を重ねても不易不変の真実相が確然としてあるそのことを、水墨の山水画面で目の当りに突きつけ、思い知らせようと意図しているように思われる。」

雪舟が表そうとしていたものが、セザンヌの「何を」描くかという問題と重なって見えてくる。雪舟が求めていた「実相」という言葉に「イデア」というルビを振りたくなるではないか。

美術の歴史を振り返ってみると、そこにはいつも「イズム」というものが存在してきた。それは「様式」と呼ばれたり、「派」、「主義」と名づけられたりしてきたものだ。ロココ様式とか印象派、超現実主義、キュビスムなどのグループがバトンタッチをするように続いてきたのである。「イズム」というのは、「何を」、「どう描くか」の「どう描くか」というその特徴を端的に表したものということができるし、それはその時代の空気を反映したものにほかならないであろう。目まぐるしく変わっていく「イズム」は「どう描くか」というところに重心を置いてきたわけだが、それぞれ魅力的な作品を生み出したということは間違いないだろう。

わたしが、絵描きになりたいと思ったきっかけは、サルヴァドール・ダリの作品を、山形の本屋さんの隅にあった画集で見たからである。今では画集なんて売れないから、本屋さんになんとか全集みたいな画集は置いていないが、昔は、地方のそれほど大きくない本屋さんにも画集があったのである。シュルレアリスムに魅せられた。小遣いを貯めてダリの画集を買って、なめるように見ていた記憶がある。リアルに描写するダリの技術と、どこか悲しくなるような遥かな空間の中に展開される奇妙な世界に溺れた。シュルレアリスムって凄いなと思った。

ピカソのキュビスムに出会ったときは、その空間の息苦しさに驚くと同時に、どうしても入り込めない違和感を感じたのだが、その空間把握の重要性に気づくのには何年もかかったような気がする。

キュビスムについては今でも頭のどこかに課題として残っている。

いずれにしても、静物や人物や風景を「どう描くか」という点に引かれていて、そこに描いてあるものそのものにどういう意味があるのかということには注意を払わなかったのではなかっただろうか。

いや、そもそも「どう描くか」ということを追求することが美術の最大の課題であり、そこにこそ表現というものがあるのだ、とずっと教えられてきたような気もするのだ。

何を描くかということ、主題というのか、モチーフというのか、そこに描いてあるものがどういうふうに選び取られたのか…、そのへんが甘かったんだろうなあ。

さて、次に、バロックについてである。高階秀爾の『バロックの光と闇』を参照しながら考えてみたい。なぜ、バロックなのか?じつはわたしもなぜなのかよくわからないのだが、なんだかこれはバロックを取り上げないといけないのではないのか、と漠然と思っただけのことである。

バロックとはなにかとか、その歴史とか、面倒くさい議論ははぶいて、いきなりバロックの特徴というものを、高階秀爾の本から抜き出してみたい。

①奔放な激しさ ②不安定なまでの複雑さ ③ダイナミックな動き

これが基本的なものだが、ほかに

④劇場的 ⑤光と闇のドラマ ⑥祝祭性 ⑦大衆性 ⑧ジャンルの解体

といったところかなあ。バロックはレオナルドやラファエロなどの古典主義に比べてこんな特徴があるということなのである。

古典主義の特質というのは、厳格な秩序、明快なまとまり、安定した静けさなのであるが、バロックは、その古典主義からはみ出してしまったものと理解するとわかりやすい。

古典主義とバロックは、かなり異質なものなのであるのだが、それは、「何を」、「どう描くか」という視点から眺めれば、「どう描くか」という違いなのであって、「何を」というところにそれほど違いはないということがわかる。

古典主義を洗練させて、技巧を凝らしていくに従って、マニエリスムという表現が現われてくる。マニエリスムは、マニエラという言葉がことばがもとになっていて、英語でいうとマナーである。様式という意味である。マニエリスムは様式を洗練させて、それに執着するあまり、異様な表現を生み出していく。捻じ曲がり、引き伸ばされた人体や、遠近法を無視するような空間表現で名を馳せるエル・グレコなどはその代表といえるだろう。マニエリスムからすぐのところにバロックが控えているのだ。

高階秀爾が、ポンピドゥー・センターを現代のバロックの象徴として捉え、上記のバロックの特徴のほかに、グローバル化を付け加えて評価しているのは、なるほどと思わせるものがある。

「…現代世界は多くの点でバロック世界と共通するものがあることに気づく。ポンピドゥー・センターが、当初のさまざまの批判にもかかわらず、一日平均二万人もの観客を集めるという予想外の成果を見せているのは、それがまさに時代の要請に応えるものだったからであろう。……現代はまさしく新しいバロックの時代なのである。……建築、美術、音楽、演劇、文学など、さまざまの分野において、かつてのバロックが再び人々の熱い視線を浴びるようになったことも、少しも驚くにはあたらない。…」

たしかにバロックは面白い。高階が伝えるところによるその魅力は、もちろん絵画や彫刻でも存分に現われているのである。

しかし、絵画に限ってみても、その魅力とは裏腹に、「何を」、「どのように描く」かという点に絞って見るならば、「何を」の「何」が大幅に変化しているとは思われない。それは相変わらず肖像画や歴史画であり、宗教画であり、神話を描いたものなのだ。風景や静物画が本格的に現れてくるのは、もう少し後である。

その様式が変化に富んで、見て「面白い」ものであるから、観客はモチーフに対してそれほど注意を払わなくても充分に楽しめたのであろう。

古典主義から、マニエリスム、バロックまで流れてくるそれぞれの様式の変化は、ずっと後の、印象派からキュビスム、シュルレアリスム、抽象表現主義と、めまぐるしく変わっていく「イズム」と重なり合う。それは「どのように」という流れであり、「何を」という問題意識が希薄であるという特徴がある。

バーネット・ニューマンやマーク・ロスコが、「作品はタイトルが大事である」と言い、作品のテーマ、つまり、そこに「何が」描いてあるのかを問題視していたという事実は、現代の絵画がテーマを失っているのではないかという疑義の提出にほかならない。

なんだか文章が堅くなってきたような気がするなあ。もっとだらだらと書きたい。

『フランシス・ベイコン・インタヴュー』のなかで、インタヴュアーのデイヴィッド・シルヴェスターは、

「現代の画家は、何を描いたらいいのかわからないのです。」

とずばり言い切っている。わたしたちは、うまく反論することができない。その通りなのである。

ギャラリーに居て、作家さんたちと作品の話をしていても、「いいねえ」とか「面白いじゃん」などと言うのだが、それは絵の技法や様式、表現方法について評価しているのであって、モチーフやテーマに深く迫っていくことはない。

作品を見ても「ピンとこない」、「何が言いたいのかわからない」、「心に迫ってこない」、「薄っぺらだ」、「つまらない」と思うことが大変多い。それは「どう描くか」ということだけで、それ以外はなにもないからなのだ。

ではどうしたらいいのだろうか。

わたしには何も答えられないのだが、少なくとも、「何を」という意識を持たなければ、結局はたいした作品にはならないのだ、ということを自覚することなのだろう。

さて、何を描きましょうか。

(よしおかまさみ/美術家・Steps Gallery 代表) 2019年7月

03-6228-6195