高橋ブランカの今回の個展(2020年 12月14日(月)-19日(土) Steps Gallery/東京)のタイトルは 「more than words」 である。ことば以上のもの。ことばを超えていくという意味であろうか。
セルビアの風景を撮った写真による作品を展示する。ところが、この写真の横にはことばが添えられるのだ。
写真にはアーチ型の門が写っている。鉄製の棒でできていて、そこには樹木が絡まっている。門から奥に向かって石畳のアプローチがあり、突き当たりに白い建物が、ちょうどアーチの中に収まるように捉えられている。三角屋根の塔もあり、その上には白い雲を背景に十字架のようなものが見えるので、これはおそらく教会であろう。セルビア正教会だろうか。雲の上には青空が広がっている。穏やかな心休まる風景である。
しかし、この写真に次のようなことばが組み合わされると、その印象は大きく変わる。
キリル文字で書かれた短い文章はセルビア語なので意味が解らないのだが、その下に日本語訳が書かれているので、わたしたちはそれを読むことになる。
耳を澄まして!
聞こえたでしょう?
麦が熟した。天使の群れが羽を畳んだ。
一気に写真が語りはじめる。一枚の写真がわれわれの視覚を通してことばを紡ぎだすのである。そのイメージはわたしたちの想像力を刺激して、さらなる幻想の世界に連れて行く。
「ことば以上のもの」と言いながら、そこに敢えてことばをもってきて、ことば以上というのはどういうことかを再認識させるレトリックは、小説家である高橋ブランカにしか思いつかない。
ブランカは1970年旧ユーゴスラヴィアに生まれた。その後、ベオグラード大学の日本語学科に進学を決める。なぜ日本語を学ぼうと思ったのだろうか。
ことばに興味を抱いていた彼女は、高校生のころからフランス語を学んでいたが、どうせやるなら全く知らないことばを一から学んでみようと思い立ったらしい。そうしたら、彼女の父親が、日本語がいいかもしれないと提案してくれたのだそうだ。お父さんはセルビアの大企業に勤めていたのだが、会社には何人かの日本人がいて、良い印象を持っていたらしい。
「彼らはすごく丁寧で、いつもお辞儀ばかりしている」
日本語を勉強したら、いいところに就職できるかもしれないとも考えた。
入学当初はちんぷんかんぷんでまったく理解できずに、もうやめようと思ったりもしたのだが、我慢して勉強したら、あるときから急に解るようになった。
「なんだ、簡単じゃん」
と、もともと持っていた言語能力が花開く。
「世界でいちばん美しいことばは日本語とイタリア語です」
と彼女は断言する。響きが美しいというのだが、わたしたち日本人には意外な感じがする。
「日本語は子音のあとにかならず母音がくるでしょ。それが流れるように美しい」
あるとき、ベオグラードにある日本大使館でパーティーが催された。日本語を学んでいた学生も招かれていた。ブランカが大学2年生のときのことである。そのとき大使館職員だった高橋氏に出会い、結婚することになったのだった。その後夫とともに来日。3年後には日本に帰化する。
結婚後ふとしたきっかけで、夫のカメラを使い写真を撮るようになり、その魅力にすぐにのめり込んでいった。夫の在外勤務でいろんな国に滞在し、それぞれの国で写真を撮った。
2018年のSteps Gallery での個展では、ロシアで撮影した人物写真を並べた。
小説も発表し、2冊の短編集を上梓。『東京まで、セルビア』(未知谷・2016年)、『クリミア発女性専用寝台列車』(未知谷・2017年)。その独特の言語感覚は注目を集めた。
冒頭で紹介した作品写真と文章に戻ろう。
「麦が熟した」ということばで、わたしたちの耳には、麦畑に吹く風の音が届く。「天使」が羽を畳む音も聞こえてくる。写真と合わせてこれを読むと、写真以上のものが見えて、文章以上の臨場感がわたしたちのイメージを刺激するのである。
注意しなければならないのは、この文章は写真を説明するために書かれたとは限らないということである。文章は、写真を見てイメージを膨らませてできた、と考えることができるわけだが、写真とまったく関係なく、全然別の時間に書かれたかもしれない。文章は写真の風景を説明しているようには思えないのだ。もしそうだとしたら、高橋ブランカという写真家が撮った写真と、同名の小説家が書いた文章を、三人目のプロデューサーとしてのブランカが組み合わせたものだと理解するべきだろう。写真は写真だけで作品として成立しているし、文章も文章だけで、充分な磁力を備えている。その二つを敢えて隣り合わせてみるというのは、シュルレアリスムのディペイズマンという技法に通じるものがある。方法がいいとかいけないとかの問題ではなく、そこにどんな新しいイメージや世界が広がっていくかということが重要なのである。これが高橋ブランカ作品の一番の特徴である。
文章はセルビア語と日本語の両方で書かれているのだが、最初はどちらのことばで書いたの?という問いに、ブランカは
「憶えていない」
と答える。
つまり、ことばが口をついて出てくるときに、日本語が出てくることもあるし、セルビア語でイメージすることもあるということなのだろう。ことばが問題なのではなく、ことばを超えてまずイメージが生まれるということなのだ。
わたしたちは、彼女の写真が、ことばによって、見たこともない風景に変化していく場面に立ち会うことになる。そして、わたしたちはその不思議な風景のなかに、ただ身を漂わせていればいいのである。高橋ブランカの作品は、手の込んだ方法を駆使しながらも、テクニックを意識させることなく、わたしたちに素朴な安らぎと夢を与えてくれる。
わたしたちの脳裏には、文字通り「more than words」の空間が広がっていく。
2020年12月
(よしおかまさみ/美術家・Steps Gallery 代表)