「no 710」 という作品は、ティッシュ箱よりも少し小さめの木製の箱である。正面は木ではなく、アルミの板を取り付けてあり、その隙間から中を覗くことができる。中では鏡面の円盤がレコード盤のように回っているのが見える。円盤の上には、なにか部品のようなものが載っていて、箱の奥の面に置かれた凹レンズに映り込み、拡大された像が妖しく動いている。箱の上部には、カメラのレンズが取りつけてあり、上から覗き込むと、その妖しさは不気味さに変わっている。作品の説明がややこしいのだが、説明はまだ続く。箱の両側面にも「部品」が取り付けられていて、一定間隔を置いて微かに動く。正面のアルミ板には腕時計のベルトの切れ端がぶら下がっていて、時折アルミ板にくっついて、カチャッと大きな音をたてて見る者をドキッとさせる。
赤川の作品は、すべて小型のソーラーパネルで動く。ソーラーパネルなので、夜になると動きは止まる。「no 710」 の場合は、ソーラーで動く円盤に磁石が取りつけてあり、磁石によって「部品」が動くのである。
磁石を二つ近づけるとくっつく。距離を縮めていくと、少しずつ近づいていくのではないかと普通は考えるが、磁石は、ある一定の距離まで近づくと、カチンと音をたてて、いきなりくっついてしまい、見るものを驚かす。どの距離まで近づいたらくっつくのか予想ができない。
今回の個展 (2021年 6月14日(月)-19日(土) Steps Gallery/東京) で赤川は磁石を多用している。予想できない動きをする磁石によって、作品にはユーモアも漂っている。
BSのテレビ番組の 『岩合光昭の世界ネコ歩き』 が好きで毎週見ている。ネコは見ていて飽きない。犬はずっと見ていてもそれほど面白くはない。岩合さんは 「犬歩き」 は撮らないようだ。
なぜネコを見ていると飽きないのだろうか。まあ、可愛い、というのはあるだろうが、それよりもネコが予想できない動きや行動をするからではないかとわたしは考える。思いがけない動きにわたしたちはなぜだか魅了されてしまうのだ。そして、さらに思いがけないことに、予想できない動きは、わたしたちを和ませる。なぜだかわからないが、予想外の動きにわたしたちは見入ってしまい、安らぎを感じるようなのである。
「no 298」 という作品に目を移してみよう。やはり小さな木箱にさまざまなエレメントが取りつけてあり、ガラスの筒に中で、部品がくるくる回っていたり、金属の棒が徐々に回転していき、突然、獅子脅しのように元に戻ったりする。上部の面をよく見ると、金属の球が、板の上を転がり続けていたりする。金属球はベアリングを分解して取り出したものである。
「no 650」 では、ベアリングの球が3個もさ迷い歩いているのが観察されるだろう。同じ道筋を繰り返し転がっているのだが、その転がり方は一定ではなく、微妙にぶれている。
赤川作品を見た観客は、誰もが 「癒されたあ!」 と言って帰っていくのだった。
なぜ癒されるのか。作品自体が醸し出すゆったりした感じがあるからなのだが、もうひとつ理由をあげるとすると、赤川の制作姿勢が反映されていて、それが見る者に伝わってくるからなのだと思う。姿勢とはなにか。それは表現しようとしていないことなのである。何かを伝えようとはしていない。何も主張しない。だからこそわれわれは赤川の作品に素直に入っていけるのだろう。ただ自由にそこに存在している。
猫と同じである。