Steps Gallery

ステップスギャラリー 銀座

勝又豊子の不在

空港で出入国管理のチェックを通過するときに、何も悪いことはしていないし、不法なものを持ち込もうとしているわけでもないのに、なぜだかどきどきし、無事に通過できたときにはほっとする。怪しい荷物を持っているかもしれないと疑われると、管理スタッフに呼び止められて質問を受けたり、別室に連れて行かれたりする。展覧会のための荷物を持っている美術作家はたいがいここで引っかかる。

1999年、個展のためにロサンゼルスの空港に降り立った勝又豊子は、例にもれず入管で呼び止められて、別室に連れて行かれた。狭い部屋だった。入管のスタッフは暇だったらしく、5、6人に囲まれたそうである。持ってきた段ボール箱を目の前に置かれて、

「Open!」

開けなさい、と言われて勝又が段ボール箱のふたを開けると、籾殻が詰まった中に、おびただしい数の切断された親指が現れた。入管スタッフは、驚いて、これは事件だ!と思ったはずである。日本から来た殺人鬼。その記念として親指だけをコレクションしている女。

しかし、すぐに、それは蝋で作られた模造品であることがわかると、スタッフたちはみんな、げらげら笑いころげた。中には、指を一本ポケットに入れて持ち帰ろうとしたスタッフもいたそうである。スタッフが5,6人も集まったのは、危険人物に用心するためというより、笑うことが目的であったようである。

事件性はないと判断されて放免された勝又だったが、入管スタッフはここで大きなミスを犯している。この親指はじつはこれから事件を引き起こすことになるからだ。

ロサンゼルスのLAアートコアで「閉じ込められた現在-水」と題された勝又豊子展が開催された。水で満たされたビニール製の大きな水バッグが床面に300個並べられたのだが、それぞれの水バッグの中には一個ずつ親指が封じ込められていた。衝撃的なこの作品を目の前にした観客の心の中では「事件」が起こっていたはずなのである。

「親指」だけでなく、勝又は人体をテーマにした作品を作ってきた。自分の身体を撮影した写真はもとより、眼だけをクローズアップさせた映像作品もそうだし、紙にサインペンやボールペンで描いたドローイングは、指紋のようにも見えるし、人体を覆う皮膚の拡がりをも思わせるのだ。「閉じ込められた現在」とは、世界の中に閉じ込められている我々は、同様に皮膚の中にも閉じ込められている存在であるということを意味しているのだろう。

1996年、東京のときわ画廊での個展で発表された「閉じ込められた現在」という作品は示唆的である。画廊空間には鉄製の檻が設置された。金属の扱いに慣れた勝又には雑作なく作れたはずである。幅230㎝、奥行き550㎝で、高さが270㎝の鉄格子の嵌った檻は、ライオンが歩き回っても十分な広さであった。この檻の奥の面には、勝又自身の背中を撮影した写真が組み込まれている。檻の中に閉じ込められた勝又の肉体写真は、皮膚に閉じ込められている勝又自身のトポロジーである。

2021年、全国で新型コロナウィルスが猛威を振るう中、Steps Galleryで個展を開催した勝又は、今までとは全く違ったタイプの作品を発表した。「不在の向こう」と題された作品は、すべて写真作品なのだが、身体や皮膚といった今までのモチーフから微妙にフォーカスがズレ出している。人物を撮った写真なのだが、細部が描写されず、シルエットだけが浮かび上がってくるようなぼんやりした画面なのだ。「指」や「皮膚」のような生々しさがすっかり消えてしまっているのである。これは実体なのか影なのかあやふやな感じもするのであるが、どうやって撮影したのか謎である。勝又は、制作方法を明かすことをなぜかしないのだが、これはただの写真でないことは確かである。

まず写真を撮る。誰を被写体として選んだかは秘密である。最初からぼんやりした影のように撮ったのか、あるいは細部まで映り込んだ普通の写真なのかも謎である。写真を撮ったら終わりではない。その写真をもとに、今度はドローイングをする。撮影した写真を見ながら絵を描くのだ。鉛筆や絵の具を使うのだろうか。絵は白黒なので、鉛筆や木炭だけで描くこともできるだろうが、どんな画材を使って描いているのかは不明である。ドローイングが出来上がったら制作終了かと思ったら、さにあらず、彼女はそれをもう一度写真に撮るのだ。つまり、写真撮影→描画→写真撮影という面倒な手順を踏むのである。どうしてこんな面倒なことをするのか、これも謎なのだが、これはわれわれが考察する余地と意義があるに違いない。本人は「すごく面倒なのよ」と嘆くのだが、面倒なことをする理由があるのだろう。

作品の制作というものは、手順を重ねれば重ねるほど、完成度は増すのだが、最初の勢いやみずみずしさが失われることが多い。立派な油絵も、紙に描いた下絵のほうが迫力があったりすることも珍しくない。

勝又は、この手順や工程を潜り抜けることを意識的に実践しているのだ。すなわち、人物写真から人間の気配を消そうとしている。「不在」というのはそこに居ないということではなく、存在はしているのだが、それを感じることができないのだ。2020年から現在まで、われわれは未曽有のコロナ禍に見舞われているが、そこで、ソーシャルディスタンスという言葉とともに人間同士の距離感を日常的に意識せざるを得ない状況に置かれた。勝又の「不在」はその心理的距離感をも表現しているのだろう。そしてなぜだか分からないのだが、複雑な工程を経て人間味の薄れた画像にわれわれは見入ってしまい、親近感を覚えたり、懐かしさを感じたりしてしまうのだ。「不在」は切ない。われわれは、勝又の作品を分析するよりも、彼女の作品に魅力を感じてしまうわれわれ自身をこそ分析するべきなのだ。

Steps Galleryの個展会場壁にはカウンターが取り付けられた。それは36.0から始まり、40.0までの赤い数字が繰り返し流れていた。これは人間の体温を表しているわけなのだが、訪れた観客の何人もが、カウンターに顔を近づけてじっとしていた。体温を測る検温器と勘違いして、自分の体温は何度になるのか注視していたというわけである。「不在」の写真に囲まれて、カウンターの数字は、リアルな肉体の温度を表示し続け、不在の向こうにある存在をかすかに主張していたのである。

個展が終わってしばらくして、勝又は、新型コロナウィルスのワクチン接種を受けた。2回目の接種後に熱が出たそうだ。「若い人しか熱は出ないそうよ。私は熱が出たのよ!」と、熱が出たことを自慢していた。

2021年9月

(よしおかまさみ/美術家・Steps Gallery 代表)

03-6228-6195