Steps Gallery

ステップスギャラリー 銀座

虹の音 -赤川浩之の動く彫刻-

吉岡まさみ 

缶ビールのプルトップをプシュッと開けながら、元早稲田大学教授のH氏は

「前の作品とは変わりましたね」

と今回の個展作品の感想を言った。

「そうですか?」

「初めて彼の作品を見た時は、どうやって動くんだろう、とその仕組みが気になったけど、今回はそういう作り方は気にならなくて、自然に眺められるようになった」

「なるほど」

わたしには今回の作品(2023年10月16日(月)- 21日(土)Steps Gallery)と前年の作品とではそれほどの違いはないと思っていたのだが、そう言われてみれば、作品はどうやって動くのかという興味よりも、作品の動きや発する音を自然に楽しむことができているかもしれない。

Hさんはこのあと、ビールを飲みながら、作品と直接関係のないような話を始めた。

今の若い人は、何でもプログラム通りに進行しないと気が済まないというか、決まった通りに動いていかないと混乱してしまうんだよね。決まった道から外れることとか、失敗することに慣れていない。突発的な事故とか、方向転換ということになると対応できなくなるんだね。コンピューターの影響なんかもあるんだろうね。法律っていうのはさ、そもそもそれを守らないという人が居るということを前提として作られるものなんだ。だから、なるべく守ってもらおうと尽力するのが法律家とか政治家の仕事……

これが赤川浩之の作品と何か関係があるのか、よくわからないが、何かしら関係があるからこんなおしゃべりをするのだろう。

赤川の作品は円盤が回ったり、振り子のように揺れたりするパーツが、いろいろな動きをして、互いにぶつかったりして音を発する。これは、コンセントを差し込んで電気で動かしたり、乾電池を装填して動かすのではなく、ソーラーパネルを使って動力としているところがミソである。電気は電気だが、どこか手作り感があり、素朴な動きをするのだ。

ソーラーパネルで作られる電気はムーブメントと呼ばれるモーターの一種に送られて、回転したり、メトロノームのように横に触れる動きに変換される。回転する動きは円盤を動かすのだが、円盤の上に磁石をセットして、円盤上の金属の球を誘導する。こう書くと、なんだか複雑な仕組みがあって面倒に思えるのだが、実際に作品の前に立つと、パーツの動きや発せられる微かな音が、古色蒼然とした彫刻としての佇まいと相俟って、その風景に自然と引き込まれていく。

赤川作品の動きと音の特徴は、その不規則性にあるだろう。揺れたり転がったりするパーツは、見る者の予想を超えた動きをする。予想ができないから目が離せなくなる。この予想できない動きは、磁石を使っていることによる。磁石がパーツに近づいたり離れたりすることで複雑な動きをするのだ。音も同様に、思いがけない時にカチカチと音を鳴らす。

赤川の作品でいちばん注目しなければならないのは、パーツの動きと音と共に、そこに時間を持ち込んだことであろう。動きは時間の経過とともに流れ、音は時間がなければ聞くことができない。しかし、赤川の作品に内包された時間は、時計で測ることのできるような量的な時間ではない。私たちを別世界に誘うような魅惑的な時間なのである。ハイデガーの言葉を借りるなら、「通俗的時間」に対する「本質的時間」であるということができるだろうし、ベルグソンの言う「分量の時間」に対する「真実の時間」とも同じである。赤川の時間は規則的に刻まれる時間ではなく、決められた動きや音をプログラムされた時間でもない。私たちが、不規則な動きや音にこれほど魅力を感じるのは、現代社会がプログラムした時間に縛られているからなのかもしれない。そういう意味では、赤川作品は、管理し、監視するこの社会を静かに告発しているのだ。

こう考えると、先のHさんのおしゃべりの意味もなんとなく分かってくるような気がするのだが、どうだろう。

作品にはすべて「n.o.」というタイトルがつけられているのだが、その意味を赤川本人に訊くと、nは虹で、oは音なのだそうである。「虹の音」ということになる。このタイトルも詩的で、意味を理解するのが難しい。

赤川作品の前に立って、音を聴いていると、作品の後ろに虹が掛かるのが見えてくる、という無理やりな解釈をしておくことにする。

2024年10月

(よしおかまさみ/Steps Gallery 代表)

03-6228-6195