吉岡まさみ
22歳から30歳までパリに留学していた平塚良一は、アパートに一人暮らしだった。フランスで美味しかったものは?と訊くと、キャベツなどの野菜とソーセージ、塩漬けの豚肉などを煮込んだシュークルートという素朴な料理、と答えるのだが、ほとんどは自炊で、ご飯を炊いて日本食を食べていた。フランス料理には染まらなかったようだが、美術作品に関しては様々な作品を味わい、影響を受けた。特に平塚の心を捉えたのが、シュポール/シュルファスという絵画運動だった。シュポールは支持体、絵画でいうとキャンバスや紙、シュルファスは表面という意味で、絵の具に当たるだろう。支持体に絵の具を塗ると表面が出来、絵画になるという絵画の成り立ちそのものを問う運動だ。
日本に帰国すると同時に、盛んに作品を発表し始める。2015年、伊豆大島の「アートアイランズ TOKYO 2015 」というグループ展では廃校になった学校の一教室の壁をブルーグレイのアクリル絵の具で全面塗り込めた。絵の具がとんでもない量なので、運び込む許可を得るのが大変だったらしい。教室の壁は「支持体」であるとみなしたわけだが、わたしは素朴に、じゃ、教室の外側は?という疑問をもった。教室の外側、つまり校舎の壁も塗らなくてはならないのではないか?平塚は、そういうことは考えなかったと言う。内側だろうが外側だろうが、表面であることに変わりはないのだ。メビウスの輪のように、表が裏になり、裏が表になるという表裏一体ということなのだろう。
近年の平塚の作品で見落としてはならないのが、和紙に墨などで描いた作品群である。これは墨で描いた抽象画のように見えるが(抽象画でもあるのだが)実は墨は和紙の裏側から塗ってあるのだ。だから我々が見ている画面は「裏」なのである。木版画でも同じような技法がある。版木に絵の具や墨を載せてその上に紙を当ててバレンで擦ると、絵の具や墨は紙の裏に染みてきて、版木の図柄が浮き出てくる。これは版画の裏面なわけだが、裏面を表にして作品化するのである。これを「裏刷り」という。
平塚良一は、支持体の裏から表面を(表面から裏を)攻めていくという思いがけない角度からシュポール/シュルファスに解答を与え、同時に問いを突きつけるのだ。
(よしおかまさみ/Steps Gallery 代表)