わたしが大学で油絵を描いていたころ、倉重光則はすでに現代美術の作家として華々しく活躍していて、それこそネオンライトのようにキラキラ輝く存在として異彩を放っていた。「かっこいい」としか言いようのないネオンを使った作品は、個展のたびにわたしを圧倒した。
30数年間わたしは倉重の作品を見続けてきたわけだが、倉重=ネオンの作家という図式は「ちょっと違う」と感じていた。
木彫の作家が、木という素材に魅せられて彫刻を作っているとか、金属がたまらなく好きで、素材に引きずられて鉄の作品ができるなどというのと、倉重がネオンを使うことは、まったく違う意味合いを持っているということである。倉重は「ネオンの作家」ではない。
2011年10月、銀座のSteps Galleryのこけら落としの個展で、倉重は今までとは少し風合いの違った作品を発表した。
それは映像作品で、ギャラリーの壁には、正方形の白い光が映されていて高速で点滅している。よく見ると、その正方形の外側に手が動いている。それは倉重自身の右手で、人差し指で外形をなぞりながらゆっくり正方形を一周していくというものであった。正方形の一辺の一部には白いネオンが取りつけてある。
倉重にとって正方形とは何か、光とは何か、なぜ指でなぞっているのか、いろいろなことを示唆する興味深い展示であった。
そのとき、わたしは、倉重は今までもずっと指でなぞってきたのではないか、と直感したのだ。彼は何をなぞっているのか。絵画を?世界を?自分を?倉重の指が通過した直線上にネオンが光っていた。
ネオンはなぞりの軌跡を示している。
この作品を見ながら、わたしは山下清のことを考えていた。
映画やテレビドラマにもなった山下清の作品や「放浪記」はだれもが一度は見たことがあるだろう。ドラマの冒頭には毎回、ほのぼのとした音楽とともに、線路を歩く山下の姿が映し出された。
山下清の研究者によると、線路を歩いて移動するのはドラマの演出ではなく、実際に山下は線路の上を歩いて移動していたのだそうだ。そして、山下の「放浪」は決して「放浪」ではなく、綿密に練られた計画の上での「旅行」だったというのだ。何月何日にこの町に着いて花火大会を見て、次はここまで行く、というふうに地図を指でなぞりながらそれを実行していった。彼は汽車に乗ることも車を使うこともなかった。地図の上を指でなぞっていくように、かれは線路を歩いてなぞっていたのだ。彼にとって重要なのは、「移動」ではなく「なぞる」という行為だったのだ。
以前から倉重は
「おれ、絵描くから」
といろんなところで自分に言い聞かせるように小声で吹聴していた。
2013年12月、倉重は本格的な絵画に着手した。
「本格的な」絵画というのも変な表現だが、以前のような、幾何学的な要素にさまざまな素材を組み合わせた作品に比べると、「本格的な」と呼ぶしかないような自由度の高い作品を目指したのだ。
それはキャンバスにアクリル絵の具を使い、指でフリーハンドで描くという形態をとった。「絵の具をいっぱい使った」のだった。
キャンバスに下地の色を作る。乾燥させたあとで、メディウムをたくさん混ぜた絵の具をキャンバス全面にたっぷり塗る。塗るというよりも、スポンジの上に生クリームを載せてケーキを作る要領で絵の具を載せていくと言った方がいいくらいたっぷりと広げていくのだ。
白い絵の具を使った作品では、その表面は降ったばかりの雪のようであることだろう。その新雪を倉重の指が掻き分けて進んでいく。縦と横の線が交互に描かれ、格子状に広がり、まるで街中を走る道路のように、あるいは縦糸と横糸の組み合わさった編み物のように、蛇行しながら独特の景観を作っていく。
あまりにも単純で、あまりにもありきたりな「技法」に見るものが唖然としてしまいそうな作品である。
「指で引っ掻いていくとさ、指に絵の具が纏わりつくのよ」
と倉重は楽しそうに笑う。
「おれ、なあんにも考えないで描いた」
と言う顔は晴々としている。
白い作品を目にして、わたしは少年に戻っていった。
小学生の頃、実家で朝、目が覚めると雪。どのくらい積もっているか長靴を履いて外に出てみる。けっこう積もっている。朝早いので、まだ誰も踏み固めていない雪。道路も畑も田んぼも一面に雪で覆われている。わたしたち子供は、その雪の上を長靴で「横歩き」しながら、そこに「道」を作っていく。長靴の幅をもった線をみんなで描いていく。なにも考えない。無心である。道はどんどん長くなり、迷路状になってくる。その迷路を使って、わたしたちは遊んだ。
幼児の頃は、絵を描く紙がなかったので、新聞広告のチラシの裏や、包み紙の余りをもらって鉛筆やクレヨンで絵を描いていたものである。何も考えずに無心に描いていた。
何を描こうか、と考えても、どう描こうかとは考えなかった。
幸せな時間だったような気がする。
倉重は「考える」タイプの作家である。どうしたら緊張した空間を作ることができるか、この線を引いたら次はどういう線に辿りつくべきか。さまざまに考えあぐねる。時間がかかる。しかし、今回の作品はアクリル絵の具を使っている。アクリル絵の具は乾くのが早い。下手をすると30分で乾いてしまい、指で描くことができなくなる。時間をかけることができない。結果、「考えない」作品が出来上がる。「考えない」作品は、倉重を満足させたようだ。何にも考えない(ように見える)作品が出来上がる。しかし、不思議なことに「何も考えないで」描いた作品は、それを見るわれわれにたくさんのことを考えさせる。「絵画とはなにか」という美術論的な議論を通り越して、倉重の「なぞり」は、われわれに人生とはなにか、幸せとはなにかと問いかけてくるのである。それは単純であるだけに、圧倒的な問いかけである。われわれはそれに答えなければならないだろう。
イリュージョンについて書かなくてはならない。
赤い絵の具をキャンバスの上に塗る。そうすると、赤い絵の具がリンゴに見える。これがイリュージョンである。イメージと言った方が分かりやすいかもしれない。絵の具は絵の具のままのはずなのに、見る人の網膜や脳の中でリンゴに見えてしまうわけである。絵画はすべてこの力に頼っていると言ってよい。抽象絵画でも事態は同じである。絵の具は抽象的な「何か」に変化しながらわれわれの眼に入ってくるのだ。
ところが倉重の新作絵画にはイリュージョンがない。塗られた絵の具は絵の具そのままであるし、指で描いた線は、ただ線であり続ける。どのように描いても絵画にはイリュージョンがつきまとうものだが、倉重の絵画にはイリュージョンの気配もないという意味で、驚くほど稀有な作品と言っていいだろう。
倉重の絵画にはなぜイリュージョンがないのか。
それは、倉重が、イリュージョンを全く問題にしていないからだ。無視する、というよりも、そもそも念頭にないのだ。
ある時期、現代絵画はこのイリュージョンが纏わりつくのを嫌って、イリュージョンの排除を狙った作品を作ろうと、現代美術の画家たちは四苦八苦していた。しかし、どんなに頑張っても、キャンバスを単一の色で塗りつぶそうとも、イリュージョンは発生した。なぜか。イリュージョンを問題にしていたからである。問題にしている時点でイリュージョンは決して消えないのだ。
イリュージョンの問題は、絵画の成立に関して大変重要な意味を持っている。
しかし、それはあくまで美術家や美術評論家の問題であって、一般の鑑賞者にとってはどうでもよいことなのかもしれない。鑑賞者は美術論とはまったく関係のない別の観点で作品を見ている。イリュージョンがあるかないか、そんなことはどうでもいいのである。
無心に鉛筆を動かす幼児は、絵画とはなにか、などということは考えないし、山下清もイリュージョンについて思いを巡らせることはなかっただろう。
倉重も「何にも考えないで」描いたのだ。そこにはイリュージョンが発生する余地はない。それは、いいとか悪いとかいう判断とはかけ離れたところにあって、新雪の上を歩いて「道」を作る行為と同じように、描くという行為が、宙吊りにされて、ただそこにある。ただ存在することのすがすがしさだけがそこにあるのだ。
丸山薫の詩に「白い自由画」という作品がある。戦時中、疎開先の山形で小学校の先生をしていた時に書いたものだ。
私は子供たちに自由画を描かせる
子供達はてんでに絵の具を溶くが
塗る色がなくて 途方に暮れる
ただ まっ白い山の幾重なりと
ただ まっ白い野の起伏と
うっすらした墨色の陰翳の所々に
突刺したような疎林の枝先だけだ
私はその一枚の空を
淡いコバルト色に彩ってやる
そして 誤って まだ濡れている枝間に
ぽとり! と黄色の一と雫を滲ませる
私はすぐに後悔するが
子供達は却ってよろこぶのだ
「ああ、まんさくの花が咲いた」と
子供達は喜ぶのだ
(詩集『北国』より)
ほのぼのとした詩である。情景を思い浮かべると、懐かしく自分も小学生に戻ったような気にさえなる。
しかし、この詩はただ、ほのぼのとした情感だけではなく、美術作品を作ったり鑑賞したりするわれわれに、重要なメッセージも秘めているのだ。
それは、この小学生の絵画を見る眼である。作品というものは、作者のものであり、他の何人もそこに立ち入ってはならない聖域である。他人が画面に何かを描きこむなどということは言語道断である。その言語道断の失敗を丸山薫は冒してしまう。
ところが、この小学生は怒るどころか、まんさくの花が咲いたと喜ぶのである。
小学生は、先生の過ちを全く見ることなく画面の美しい変化だけを見ている。
作品はだれのものか、という美術論のきわどいところを突いている。作家とはだれか?という議論も併せ持ちながら、この小学生の態度は、われわれに多くの示唆を与えるものである。この小学生は、作品とは何か、ということだけではなく、人生とはなにか、運命とはなにか、それを受け入れることとはなにか、ということまでわれわれに問うては来ないだろうか。
わたしは、なぜだか、この小学生と倉重光則がダブって見えてしょうがないのである。
( よしおかまさみ/美術家・Steps Galler 代表 )