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ステップスギャラリー 銀座

どんどん焼

どんどん焼き

吉岡 まさみ

池波正太郎の『食卓の情景』を読んでいたら、どんどん焼が出てきた。どんどん焼?懐かしい。池波正太郎も懐かしいらしい。

「いわゆる[お好み焼]であるが、われわれ東京の下町に生れ育ったものにとって、この[どんどん焼]ほど郷愁をさそうものはない。」

読み進んでいくと、あれ?どうも東京のどんどん焼と山形のどんどん焼はかなり違ったものであることがわかる。一言でいうと、山形のどんどん焼は、東京のどんどん焼を極限まで貧乏にしたものだ。東京のどんどん焼はというと

「昭和初期から十年代にかけて、東京の下町のところどころに出ていた屋台の[どんどん焼]というものは、いまのお好み焼のごとく、何でも彼でもメリケン粉の中へまぜこんで焼きあげる、というような雑駁なものではない。」

山形のどんどん焼にはいわゆる具というものは入ってないのだが、東京ではいろんなものを入れて焼いていたようだ。

「ベースは、いうまでもなくメリケン粉を溶いて鶏卵と合わせたものだが、そのほかに牛の挽肉をボイルドしたものや、切りイカ、、乾エビ、食パン、牛豚の生肉、揚玉、キャベツ、たまねぎ、鶏卵、こし餡、支那そば用の乾そば、豆餅などが常備されてい、店によっては、その他もろもろの材料を工夫して仕入れてくる。」

溶いたメリケン粉を鉄板の上に広げて、その上に具を載せる。具によって値段が変わる。その上にさらにメリケン粉をかけてから裏返して焼く。それを紙皿に載せて出す。

これに対して、山形のどんどん焼はどんなものであったのか、わたしが小学生のころだから、池波正太郎の昭和初期から30年以上を経たころではあるのだが、やはり屋台を引いたおばさんが近所の辻まで売りに来た。鐘を鳴らして屋台が来たことを近所に知らせる。子供たちはこの鐘を聞くと、10円をもらってどんどん焼を買いに駆けつける。大きな琺瑯びきの寸胴にメリケン粉の溶液が入っている。これだけではあまりにも味気ないので、細かく刻んだ紅生姜を汁ごと入れてかき混ぜてある。溶液は薄いピンクに染まる。お玉で溶液をすくい鉄板の上にのばす。クレープのようにのばす。クレープは丸い形だが、どんどん焼は小判型である。鉄板に面した方が焼きあがる前に、表面に、切手大の海苔と、輪切りにした魚肉ソーセージを一切れのせる。これ以上薄く切れないというほど薄い。青のりを申し訳程度にふりかける。そしてへらでひっくり返す。ひっくり返した面にソースを塗る。たしか、醤油も用意してあって、ソースとどちらかを選べるようになっていたような気がする。ソースを選ぶ子がほとんどだった。おばさんは、割り箸を一本取り出すと、小判の下端を折り曲げてひょいと絡ませる。その上にもう一本の割り箸を重ねて、くるくると巻いていく。これをへらで押しつぶすように押さえて形を整えると、そこにソースを塗って、ハイ、と子供に手渡し、代金の10円と交換する。東京のように紙皿に載せるのではなく、直接割り箸を手渡す。アメリカンドッグや串に刺した団子の要領である。わたしたちにとってはこんなに美味しいものはめったに食べられないというような味なのである。しっとり焼けた生地に焦げかけたソースが絡まり、青のりと紅生姜の香り、それと魚肉ソーセージと海苔の一片がうれしい。食べている間は夢のような時間だった。

山形のどんどん焼は、おそらく東京から伝播したものであろう。そのレシピが伝わる間に、次第にその具がそぎ落とされて、やがて全くなくなってしまったのではないかと推測される。昭和初期から戦後しばらくは、山形は貧しかった。東京の「具」が、肉だの卵だの、エビ、イカなどと伝えられても、山形では

「ほだなもの用意でぎねべした」

となり、最低限の素材で完成したのが山形どんどん焼なのである。どんどん焼、あるいはお好み焼の味を構成する素材は、結局のところ、メリケン粉とソースである、ということを証明してみせたたのが山形どんどん焼なのである。

話は変わるが、美術の世界で「アルテ・ポーヴェラ」というグループがイタリアで活躍したことがある。ポーヴェラというのは貧しい、貧乏という意味だが、その名の通り、どこにでもある粗末な材料を使い、組み合わせ、作品にしてしまう。山形どんどん焼と通じるところがあるとわたしは思う。アルテ・ポーヴェラはミニマルアートと近いところがある。山形どんどん焼もやはりミニマルだろう。ミニマルアートに影響されたものに、日本のもの派があるわけだが、山形どんどん焼はもの派であるといっても差し支えないような気もする。

素朴なのである。素朴だからこそ美味しい。

現在、山形にはどんどん焼は存在しないのか。ひょっとしたら神社の祭礼のときなど、屋台が出ているのかもしれないが、わざわざお祭りを覗くために山形まで新幹線で行くこともないのでわからない。

あるとき、山形市内の繁華街を歩いているときに「どんどん焼」の看板を見つけた。屋台ではない、ちゃんとしたお店である。覗いてみると、たしかにどんどん焼である。鉄板の上で焼いている。しかし、近づいてよくよく見てみると、割り箸に巻かれたそれは、思い切り太く、その中にはたくさんの「具」が入っているのだった。肉や卵、などが贅沢に使われているようだった。これは、昔を懐かしがる年配の人たちが買うだろうことを見越したものなのだろう。しかし、われわれ昔の人間はこれを喜ばない。

わたしは店の前を素通りした。食べる気がしない。これは山形どんどん焼ではない。わたしが食べたいのは、具のない、メリケン粉とソースだけの、あのどんどん焼なのである。

(2025年 7月)

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