吉岡まさみ
アメリカのネオ・ダダの作家ロバート・ラウシェンバーグに「消されたデ・クーニング」という小さい作品がある。
ラウシェンバーグは若いときに自分の作品を消しゴムで消すという作品を作っていた。ドローイングや文字などを消しゴムで消すのだ。作業を続けているうちに、「なんか違うな」と感じた。自分の作品を消しただけでは作品にはならない。もっと有名な作家の作品を消さないとダメだ。当時ラウシェンバーグは28歳、まだまだ駆け出しであった。彼は、デ・クーニングの作品を消そうと考えたらしい。そのときウィレム・デ・クーニングは抽象表現主義の大御所で、49歳だった。ラウシェンバーグはデ・クーニングの自宅を訪ねて自分の考えを述べた。断られると思った。断られてもいいのだ。断られたらそれが作品になる。ところがデ・クーニングは、君の考えは理解できると言って、作品を1枚くれたのだそうだ。たぶん代金は払っていない。しかし、そのドローイングは鉛筆だけで描かれたものではなく、クレヨンやパステルなども使ってあった。消しゴムで消すのに1か月かかったらしい。その作品を額装したのは、ラウシェンバーグの友人ジャスパー・ジョーンズだった。立派な額に入れて、タイトルを書いたプレートを張りつけた。
ERASED de KOONING DRAWING
ROBERT RAUSCHENBERG
1953
作家名はラウシェンバーグになっているわけだが、はて、本当にラウシェンバーグでいいのだろうか?デ・クーニングのドローイングがなければ作品は成立しないわけだし、ジャスパー・ジョーンズだって大切な役割を担っているだろう。しかし、ここでは作家は誰かということにこだわらず、三人の行動の「流れ」に注目しよう。
まず、ラウシェンバーグがデ・クーニングに会いに行くという行動に出る。いきなり家を訪ねる。入口のベルを鳴らす。居なきゃいいのにと思ったそうだ。ドキドキ、緊張していたのだ。デ・クーニングは家にいた。そして作品を欲しいと言った時も、断ってくれればいいと思ったそうである。ところがデ・クーニングはラウシェンバーグの考えを受け入れるのだ。そして作品の仕上げはジャスパー・ジョーンズという友人が手を貸す。
倉重光則をラウシェンバーグになぞらえることは、それほどおかしな図式ではないだろう。倉重は、展覧会の発案をして、行動を起こす。作家たちに呼びかける。その企画に、作家たちは参加するという形で答える。デ・クーニングがラウシェンバーグの作品に「参加」したのと同じである。そして、会場となる三浦のギャラリー イハリウムが手を差しのべる。
もし、倉重の出品依頼に誰も答えなければ、この企画は成立しないし、会場を提供してくれるギャラリーがなければ、プランは消え去る。
展覧会の企画者というのは、実は計画を練っているときがいちばん楽しいものだ。ああしよう、こうしようと考えていると自然に熱を帯びてくるのだ。企画者の心の中は「猛暑」である。熱中症になる前にこの熱を逃がしてやらなければならない。その熱は、まず参加してもらいたい作家に伝播する。そして会場になるギャラリーにも伝わり、展覧会の大まかなプランも決まる。熱伝導は、普通は伝わっていくに従って次第に冷めていくものだが、この展覧会は逆にヒートアップしているようだ。この熱は、ギャラリーを訪れる人たちにも伝わっていき、頬をほてらせることになるだろう。三浦の風が心地よく感じられるはずである。
(よしおかまさみ/Steps Gallery 代表)
